危機勃発から7年:シリアからのメッセージ

一緒にご協力すれば、世界がいつか人間みんな平等に住めるような地球になるはずです。

シリア危機の勃発から間もなく丸7年が経とうとしています。AARのシリア人職員であるラガド・アドリーから、日本語による皆さまへのメッセージです。

ラガド・アドリーから皆さまへ

AAR Japan[難民を助ける会]

春になるとシリアでは、日本の桜に似たアンズの花が満開になります。日本でお花見を楽しむとき、少しだけ、シリアの人たちのことを思い出してみてください

シリア紛争が始まって今月で8年目に入ります。あっという間だと言うか、とても長い期間だと言うか、よく分からなくなります。シリアには紛争の被害がない家庭がありません。家族や親しい人を失くしていなくても家を失くしたり、仕事を失くしたり、夢をなくしたりしていないシリア人がいません。どんなに裕福な人でも限らず、紛争による被害がシリアのどこまでも及んでいます。

7年間というのは短くありません。例えば子どもの人生にしてみると、小学校6年間を終え、中学校2年目になるという長期間です。もしくは、生まれて7歳になるという結構長い期間のことです。紛争中に生まれて紛争しか知らない世代がいます。その子たちは紛争がない世界を知らないのです。平和という言葉の意味さえ分からないのです。むしろ平和な世界が想像もできないのです。そんな子どもが目の前にいればどうすればいいのでしょう? 7年間が経ってもうシリアのニュースに慣れてきたとは言えても、シリアにいる人々が紛争の被害に慣れたとは言えません。いつまでも死には慣れていけないのです。

私はシリアから離れて来日した時はシリアのためにできることがなくなるとほとんど失望していましたけれどもAAR Japanに出会って光が見えてきました。シリアをはじめ、日本から世界のあらゆるところまで支援を届けるような活動をする日本生まれのNGOなので私も関わりたくなりました。去年AARに入って、シリアから離れても心が離れていないと毎日実感するようになりました。AAR Japanは6年前からシリア難民支援を始めました。紛争が始まって一年半たらずの2012年に、隣国のトルコに逃れた難民支援事業を開始。トルコだけでなく、2014年からシリア国内でも現地団体と協力して事業を開始しました。食料配付や、地雷や不発弾がたくさんある地域の人に回避教育をしています。そのような支援のおかげで少しでもシリアの人々の笑顔が戻れるといいなと、遠くにあるこの東京オフィスでいつも考えます。

シリア紛争が起こる前までは他の国に起こっている紛争には関心があまりなかったのですが、目の前で戦争が起きて初めて死体を見た時は紛争というのはこういうことなのだと分かりました。最近向こうのニュースや色々な動画を見て心が痛いです。紛争がさらに激しくなって来ています。もう落ち着いてきたようなニュースが去年流されていましたが、実は最近また激しくなって来ました。私の出身ダマスカスの郊外では、この2週間で600人近く亡くなってしまいました。そして食料がない地域も全国にたくさんあります。支援の必要性はいまだに低くなっていません。

ダマスカスの郊外には春になったらアンズの花が咲きます。アンズの花は桜にとても似ています。それが咲くとダマスカスの人々がお花見しに行きます。日本ももうすぐ桜が咲き始め、みんながお花見に行くでしょうが、心の落ち着くその時期になってもシリアの人がとても大変な思いで毎日やっていることを、一度でも思い出してください。人間はだれもが(私なら大丈夫だ)とか(私の家族なら大丈夫だ)と思いがちなのですが、本当に大丈夫のでしょうか。私は多くのシリア人と違って家族が亡くなる経験をしていなくて本当に良かったですが、紛争が始まってから心地良い居場所はどこにもなくなりました。心地良い居場所というのは人間が頭の中に作るという風に思いますが、実際に何が起こるか、どこで起こるか、誰に起こるかがさっぱり分かりません。それで今の時点で困っている人がいたらその人に自分のできることをやって、そうしたらいつか自分が困るような状況にいたらきっと救われるはずです。そういう気持ちになってみると、世界のあらゆる場所にいる人たちとの糸をはじめて実感するでしょう。

シリア紛争をきっかけに今他の国の事例についてもいろいろ勉強していて、困っている人間がいれば国籍や宗教などを問わず救うべきだという責任感が生まれました。私の想いはAAR Japanにいるみんなの想いも同じだろうと思いますが、皆さんも同じ思いになってくださり、一緒にご協力すれば、世界がいつか人間みんな平等に住めるような地球になるはずです。

【報告者】

AAR Japan[難民を助ける会]

東京事務局 シリア難民支援担当 ラガド・アドリー

シリア・ダマスカス出身。シリアの大学で日本語を専攻。日本に留学中にシリア内戦が勃発。帰国してからは大学で教えながら救急医療ボランティアとして活動した。2016年に再来日。一般企業に就職後、2017年6月にAAR へ。今はトルコで行っているシリア難民支援を東京からサポートする傍ら、「シリアのことを忘れないでほしい」と、シリアのことを日本に伝えるべく奔走している。

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