「意識高い」ってまだネガティブなの? “変わってる”と言われた若者たちの本音

真剣に考え、行動しているだけの若者たちが「意識高い」と揶揄されることを恐れなければいけないのは、もったいない。
Callum Hasegawa

「ここにいるみなさんは、一度は『変わっている』と言われたことがあると思いますが…」という司会者の言葉。普段は耳にする機会もないセリフが、イベントから数週間経った私の耳にまだ残っている。

「日本、社会を牽引するリーダーと新たな時代を創る次世代のリーダーが集う」をテーマに開催された、多分野の一線で活躍する23才以下の若者を集めた1泊2日の合宿イベントU-23サミット。700名以上の応募の中から参加したのは、アーティストや学生起業家、医学生など総勢130名。

今日本を背負う大人は、若者に何を伝えたのか。

これからの日本を背負う若者たちは、何を思っているのか。

学生コピーライターとして参加した筆者が見聞きしたものを、一部紹介します。2020年以降の日本に想いを馳せながら、お付き合いください。

これからの日本、そして世界

Callum Hasegawa

合宿1日目、最初の登壇者はヤフー株式会社CSOで慶應義塾大学環境情報学部の教授を務める安宅和人さん。安宅さんは、人工知能やビッグビックデータによる情報科学の観点から、これから世界で起こる変化について教えてくださった。

前提として、今私たちが生きている世界は、18世紀の産業革命級の変化、情報産業革命が起きている。コンピューターとビッグデータが合わさり、多くの人が一度は考えたことがあるであろう、人間の仕事が機械に取って代わられる未来がすでに始まりつつある。

安宅さんは「君たちには実感がないかもしれないが、少し前では考えられなかったことが次々と実現されている」と語った。

アパレルや小売業、農業の分野でも、データ×AIによる改革は進む。それも、比例関数的ではなく、指数関数的に。一言でいえば「今までの常識が数十年後の未来には通用しない」というのが常識になるのだ。

そんな情報産業革命によって、評価される企業・人材の特徴も自然と変わっていく。

「若者よ、異人になれ」

高度成長期の日本では、大量生産をしていれば、物が次々と売れた時代だった。だからこそ、すでにある作業を確立させ効率よく遂行する人材が求められた。

しかし今求められているのは、一定のスキルを満遍なく持っている人材ではなく、「尖っている人材」。「枠には収まらないが、何かに突き抜けている人材」だと安宅さんは言う。

具体的には、多くの人が目指さないいくつかの領域で秀でている人、夢を描きテクノロジーやアートなど複数の領域をつないで形にできる人、そして、自分の得意分野の外の事象について頼る仲間がいる人などだ。

安宅さんは、会場のみんなに「若者よ、異人になれ」と呼びかけた。

今を切り開いてきたリーダーの地道な歩み

Callum Hasegawa

次に、法務大臣・森まさこさんや株式会社ユーグレナ取締役副社長・永田暁彦さん、衆議院議員・平将明さん、NPO法人ETIC.代表・宮城正治さん、NPO法人ドットジェイピー 理事長・佐藤大吾さんなど、各界で活躍するリーダーの方々によるパネルディスカッションが行われた。

将来に対する不安や、人と違うことに対する孤独感は、時代にかかわらず若者を悩ませる。

そんななか、情報産業革命で、今までの常識が通用しなくなる。世界の常識が目まぐるしく変わる中で、新しい時代を切り開いていくために、若者は「目の前の課題」をどう解決していけば良いのか。

一つは、他者との比較をやめ、自分の好きを問いかけることだ。

慶應義塾大学総合政策学部教授・中室牧子さんはご自身の活動で大切にされている科学的データをもとに説明する。

第一志望の大学に入り最下位になった人と、第一志望に落ち第二志望に入ってトップになった人では、本来は実力がほとんど変わらないにも関わらず、後者の方が成長するそうだ。人は自分の能力を他人との比較で認識する傾向があるため、第二志望のトップの生徒の方が、自分の能力に自信を持つことができるからだそう。

中室さんは「人間は、小さな池の中で他人との比較で自分を決めている。だからこそ他人との比較ではなく、自分の好きを問いかけ、自分で選んだ物差しで自分を評価できるようになってほしい」と話した。

またジュエリーブランド「HASUNA」のFounder & CEO・白木夏子さんは、20代前半のうちに多様性が高くクオリティ・オブ・ライフが高い海外の都市を経験し、地球人としての自分のあり方を考えることを勧める。

白木さん自身、大学進学で単身イギリスに渡っている。HASUNAを立ち上げるきっかけになったのは、インドで貧しい村を回る中で鉱山労働を見たことだったそう。

日本では、集団における調和や自分を抑えることに対する美意識が、他文化に比べて強い。それ自体は悪ではないが、海外で個性を尊重し意見を求められる文化を経験することは、大切なのだろうと感じた。

「意識高い」といわれる若者の本音

Callum Hasegawa

日本の若者たちが抱えている生きづらさは、参加者同士の討論の内容からも垣間見えた。

「今の社会に、あなたが足りないと感じるコト」をテーマにしたディスカッションで、私のグループでは、いわゆる「意識高い系」や「アンチ」といった表現に着目した。

意識の高い学生」という言葉は本来、「能力が高く、知識も経験も豊富な優秀な人材」を指す就活用語だったそう。しかし、リーマン・ショックの影響で新卒採用の枠が減り、同時期にTwitterやFacebookが広がったことで、意識が高いことをSNS上でアピールすることに注力する学生が増えた。

一方で、そんな学生への批判が、「意識の高い学生(笑)」「鼻につく」といった今多くの人が抱くネガティブな意味につながっていったのだという。

「意識高い」という表現について、参加者はどう感じているのか。

「アクティブにならないことを否定しているわけではない。私だって、部屋にこもって何もしたくない時はある。けれど、それは社会で頑張って活動している人をむやみに傷つけていい理由にはならない」

一人の意見に全員が賛同した。では、周りを否定することで自分を保とうとしてしまう人が、矢印を内側に向ける、つまり自分と向き合うことで問題を解決するようになるには何が必要か、という話題に移った。

私たちは、それぞれにコミュニティが必要なのではないかという仮説に至った。本来の自分でいられる居場所を一人ひとりが持つことで、他人への揶揄ではなく、自分自身の未来に意識が向くと考えたのだ。

秋田県からきた参加者が、私たちの仮説に関連づけて、1995年から14年連続で自殺率がワースト1位である秋田県での、「地域づくりとしての自殺予防」について教えてくれた。

悩みを抱えた人をやさしく受け入れる地域コミュニティづくりを実施し、実際に2007年には(前年に比べ)自殺率が15.4%も減少したそう。

「意識高い」と揶揄されるときは決まって、人と違うことをしているときだ。それが、私たちの自分らしさを表現しているだけだとしても。

それならば、誰もが自分らしくいられる社会を作れば、足の引っ張り合いはなくなる。

自分を否定する人も、否定しない。

話し合いでは、一人ひとりが幸せになれる社会を作ることが、ごく自然に大前提として進められていたのが印象的だった。

意識高い若者は、「実行」しているだけなんだ

U-23サミットに参加した学生は、いわゆる「意識が高い」学生であり、そう言われることに居心地の悪さを感じてきた。

実際、今回のイベントの概要や参加者プロフィールを友人に見せた際、「クラスで浮いていたすごい人を集めたみたい」と言われたことを思い出す。

そして今回、周りの参加者の意見を聞いて思ったのが、「彼ら彼女らに自分の力を見せびらかしたい、人よりも優れていたいという意識など皆無だ」ということ。

どうしたら社会で生きづらさを感じている人を助け、また人々が繋がれる場所を作れるか。それを真剣に考え、自分ができることを実行している人たちだった。

そんな行動する若者たちが、「意識高い」などと否定的なコメントをされたり揶揄されたりすることを恐れなければいけないのは、もったいないと思った。

Callum Hasegawa

登壇者の皆さんは、「若さは何にでも挑戦できる切符」だとエールを送ってくださった。

しかしビジョンと情熱はあっても、経験や資金の不足など、プロジェクトやアイデアを形にするために、現実的に乗り越えなければいけない壁はある。実際に10年、20年とビジネスや社会貢献などに向き合ってきた“大人”から学ぶべきことはあるだろう。

“大人”から見れば、私も含め意識が高い若者は、やる気だけで空回りしているように見えることもあるかもしれない。

けれど、形からでも良いのではないだろうか。

少なくともこのU-23サミットは、意識高くあろうと、世界を少しでも良くしようと努力する若者を応援する場所として存在していた。

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