コロナ禍で迫られる「命の選別」ドイツ医学界の提言「厳密ルール」の中身

コロナ危機によって迫り来る「トリアージュ」。その厳密な基準の背景には、ナチスによる犯罪の記憶があったーーー。
イェンス・シュパーン保健相=2020年4月3日
イェンス・シュパーン保健相=2020年4月3日
時事通信社

欧州の感染者の大半はイタリア、スペイン、ドイツ、フランスに集中している。これらの4カ国で40万9687人が感染しており、死者数は3万6008人にのぼる。欧州全体の犠牲者数の約80%だ。

「まるで戦場だ」

欧州で最も被害が深刻な国の1つであるイタリアの感染者数は、4月5日の時点で12万4632人、死者数は1万5362人に達する。「ジョンズ・ホプキンス大学」、「世界保健機関」(WHO)の統計によると、イタリアの感染者数と死者数は中国を上回る。

特に同国北部のロンバルディア州では、重症者の数に比べて医師、看護師、集中治療室(ICU)や人工呼吸器が不足している。イタリアでは3月の最後の1週間に、ほぼ毎日約600〜900人もの死者が出た。

ロンバルディア州の医療現場の状態は、悲惨だ。同州にある都市クレモーナの病院で働くフランチェスカ・マンジャトルディ医師は、ドイツの日刊紙『フランクフルター・アルゲマイネ』(FAZ)との電話インタビューで、こう語っていた。

「呼吸困難に陥った患者数が多いのに、人工呼吸器が足りない。医師や看護師の間でも感染者が増えているので、十分に患者の手当てができない。まるで戦場だ」

マンジャトルディ医師によると、感染の危険があるため、家族は病院に来ることを禁じられる。このため重症患者は孤独の中で1人また1人と死んでいく。彼らが人生の最後に目にするのは、防護衣とマスクをつけた医師と看護師である。

この病院では、医師たちが患者の生死を決める、ぎりぎりの選別を強いられていた。マンジャトルディ氏は、

「高齢者や心臓病、糖尿病などの基礎疾患を持つ患者は、回復の見込みが低いので、後回しにせざるを得ない」

限られたキャパシティーの中で、回復の見込みがある患者を優先的に選別しなければならない。このような状況を「トリアージュ」という。

症状が重篤で治癒の見込みが低いと判断された患者は、人工呼吸器のあるICUには入れられず、通常の病棟に送られる。

トリアージュは戦争や大規模なテロ、自然災害などのために、治療キャパシティーを大幅に上回る数の負傷者、重症者が出た時に採用される。日本でも1995年の地下鉄サリン事件の時に、病院が重症者、中程度、軽症者を分けるトリアージュを行ったことで、この言葉が知られるようになった。

マンジャトルディ医師は、

「本来医師は患者を選ばず、全ての患者を助けなくてはならない。

暴君ネロは剣闘士の戦いで敗れた戦士について、親指を上に向けるか下に向けるかによって生死を決めた(注・ネロが親指を下に向けると戦士はその場で処刑された)。本来、我々医師はそのようなことをしてはならない。

しかし現在の状況下では、我々は選別せざるを得ない。我々は医師になるための教育を受けた時、このような状況への対応の仕方を学ばなかった。我々は今、医師としての倫理規定に反する状態で仕事をしており、絶望的な心境だ」

と語っている。

また欧州の複数のメディアによると、スペインやフランス東部の病院でも、医師たちが「どの患者を救うか」の選別を行わざるを得ない状況に追い込まれている。

たとえば、『南ドイツ新聞』の3月26日電子版は、

〈スペインの看護師らの証言によると、同国の一部の病院は、年齢が75歳以上のCOVID-19(新型コロナウイルス)の患者については、治癒の見込みが低いのでICUに収容しない。救急車も、救助要請の電話が老人介護施設からかかってきた場合には、現場へ行かない〉

と伝えている。

「ドイツの人口の60〜70%が……」

私が住むドイツでは感染者数が欧州で3番目に多い。バイエルン州が3月21日に、最高2万5000ユーロ(約300万円)の罰金を伴う外出制限令を施行したのを始め、連邦政府も3月23日から、家族を除いて3人以上の市民が集うことを禁止する接触制限令を導入した。

食料品店や薬局を除く商店、学校、飲食店、劇場、スポーツジムなどは閉鎖され、政府は市民に対し、屋外でも最低1.5メートルの距離を取るよう命じた。第2次世界大戦後のドイツで、これほど行動の自由や市民権が制限されたことは、1度もなかった。

今のところドイツの死亡率(1.46%)は、イタリア(12.32%)やスペイン(9.41%)に比べて大幅に低い。その理由の1つは、ドイツが毎日5〜6万件のPCR検査を行っていることだ。

英国のオクスフォード大学が運営するデータバンク「データで見る世界(OWID)」によると、今年4月3日の時点でドイツのPCR検査の累計は91万8460件で、イタリア(61万9849件)や日本(3万9446件)を大幅に上回っている。

さらに、連邦政府が2012年から各州政府に対してパンデミックに備えるよう指示していたため、人工呼吸器を備えたICUの数が約2万5000床と他国に比べて多いことも理由の1つだ(ドイツ政府は検査数を1日20万件、ICUの数を5万床に増やす作業を進めている)。

また個人主義が強いドイツでは、年老いた親と息子・娘夫婦が同居している家庭がイタリアに比べて少ないことも、高齢者への感染数を低く抑えた。

「日本集中治療医学会」によると、ドイツでは人口10万人あたりのICUのベッド数が29〜30床と、イタリア(12床)の2倍以上になっている。

このためドイツ政府は窮地に陥ったイタリア北部やフランス東部、オランダからの病院から、重症者110人以上を空軍の特別機で搬送し、ドイツの病院に受け入れている。4月2日にドイツの公共放送局『ZDF』が報じたところによると、この国のICUのベッドの内、使われているのは約60%に留まっている。

だがドイツでも死亡率が次第に上昇し、特に介護施設での集団感染により、犠牲者が増えつつある。「ロベルト・コッホ研究所」のロター・ヴィーラー所長は、

「このパンデミックは少なくとも2年間続く。ドイツの人口の60〜70%がウイルスに感染するだろう。我々はまだ、流行の初期の段階にいる。ドイツでもイタリアのような事態が起こる可能性は否定できない」

と警告している。ドイツ連邦保健省のイェンツ・シュパーン大臣も3月26日、

「現在は、嵐の前の静けさだ。大変な時期はこれからやってくる」

と語っている。

ICUに入れるかどうか

こうした中、ドイツの医学界は3月25日に、コロナ危機に関連して重要な文書を発表した。

「ドイツ集中治療・救急医学会」(DIVI)、「ドイツ呼吸医学会」(DGP)、「医学倫理アカデミー」(AEM)、「ドイツ緩和医学会」(DGP)など7団体が共同で作成した提言書である。

13ページにわたる文書には、

「COVID-19パンデミックに関連する、救急・集中治療キャパシティーの配分の決定についての臨床的・倫理的提言」

というタイトルが付けられている。

この提言書の目的は、イタリアやスペインのような事態が起きた場合に、医学界全体で明確なガイドラインを打ち立てることによって、トリアージュの責任を現場の医師だけに負わせることを防ぐことだ。つまり「津波」がドイツに到達する前に、社会的な合意を生もうとしているのだ。

提言書は冒頭で、

〈我が国でも、治療を必要とする患者の数がキャパシティーを超える事態が起きる可能性が強い。キャパシティーが限られている時には、どの患者に集中治療を施すか、誰に施さないかを決めなくてはならない。これは現場の医療チームにとって、精神的、倫理的に大きな試練となる〉

と述べ、オーバーシューティング(感染爆発)がドイツでも起こる可能性を示唆している。

その上でさらに、

〈全ての患者をICUに収容できない場合には、大災害時のトリアージュの方法を取る。それによって、限られたリソースを配分する。その際に、どの患者をICUに入れるかという優先順位を、年齢や社会的な基準だけで決めてはならない。治療を行うことで回復する見込みがあるかどうかによって、決めるべきだ〉

つまりドイツの医学界は、ICUへの収容について優先順位をつける基準として、肺機能の低下、臓器不全、敗血症、免疫不全、ガンなど基礎疾患の重篤度など、客観的な尺度を用いるよう求めている。

たとえば、「75歳以上の患者はどうせ助からないのだからICUに受け入れない」とか、「外国人はICUに入れない」というような線引きの仕方は禁じられる。

さらに提言書は、

「ある人の生命と、別の人の生命を秤にかけて、どちらに価値があるかを比較することは、憲法によって禁じられている」

とも釘を刺している。

また病院には新型コロナ以外の重い病気で入院している人もいるので、優先順位の決定には、新型コロナ以外の患者も含めるよう勧告している。

そして患者をICUに入れるかどうかの決定を行う際には、最低3人のチーム(集中医療の経験が豊富な医師2人と1人の看護師)が共同で決定するよう求めている。

要するに、野戦病院のような状況下でも、現場の医師が1人だけで決定を下すことは許されない、ということである。

またその際には、なぜその患者をICUに収容したか、もしくはしなかったかについて、客観的な理由づけを文書化しなくてはならない。

提言書の第13ページ目には、現場でトリアージュの判断理由を記すための用紙の例も添付されている。このページをプリントアウトすれば、直ちに臨床現場で使用できる。そこまで状況は逼迫しているのだ。

基準となる4つの条件

医師にとってさらに精神的、倫理的な重荷となるのが、「再評価(Re-Evaluation)」と呼ばれる作業だ。

再評価は、ICUに空きがない場合などに行われる。助かる見込みがある重症者が救急車で到着した際に、ICUで手当てを受けている患者を通常病棟に移す場合などに、医療スタッフはICUにいる患者の状態を再評価しなくてはならない。

再評価をすることによって、命を救うための集中治療をやめることになり、患者の死期を早めるかもしれない。生存のチャンスを下げることになるので、本来命を救うことを任務とする医師にとっては、最もつらい決断の1つだ。

それでも、オーバーシューティングのような非常事態には、医療チームは治療に使えるキャパシティーを最も効率的に配分、投入することを求められる。リソースの効率的な配分は、「なるべく多くの人の命を救う」という目的のためには重要なことである。

その点について提言書は、

〈公平性の観点から、再評価による優先順位の決定は、全ての患者を対象にするべきだ。集中治療の停止は、ドイツでは法律で許される行為の限界にぶつかるかもしれない。しかし現場の医療チームは、責任をもってこの決定を行わなければならない〉

と指摘している。

と同時に、客観的な尺度に照らして、どの患者をICUから出して緩和医療に移行するかを決めるよう勧告している。その基準例として次の4つの条件を挙げている。

(1)患者が集中治療の継続を望んでいない場合

(2)治療の目標を達成することが不可能な場合

(3)事前に設定した治療目標を達成できなかった場合

(4)多臓器不全が急速に進行している場合など

ドイツ人は、混沌(カオス)を嫌う民族だ。彼らは、緊急事態に直面した時にも、行き当たりばったりの対応をするのではなく、規則や枠組みを明確に決めることを好む。この提言書には、そうしたドイツ人の国民性が表れている。

特に今回DIVIなど医学会が、多数の重症者が殺到する極限状態で、人の生死を分けるぎりぎりの判断を医師1人に行わせるのではなく、必ず複数で行うこと、その際の判断基準を文書化してインターネット上で公開したことは、現場の医療スタッフの精神的・倫理的な負担を少しでも減らそうとするものだ。

さらに、医療サービスを受ける側の国民に対しても、「医学界はこうした基準に基づいて、限られたリソースを配分する」という意志表示をすることにもなる。国民も、万一の事態になった時、「知らなかった」ということはできなくなる。

「100%満足できる解決方法はない」

コロナ危機をめぐっては、もう1つ重要な提言書がある。

ドイツ政府の生命科学や医学に関する諮問機関「ドイツ倫理評議会(Deutscher Ethikrat=日本ではドイツ倫理委員会と訳されているが、ドイツ語のRatは委員会ではなく、諮問機関の性格が強い『評議会』なので、私はこう表記する)」は、3月27日に「コロナ危機における連帯と責任」という提言書を公表した。

ドイツ倫理評議会は2007年に設置された学際的な機関で、医学者、神学者、哲学者、法学者、経済学者など26人の学識経験者が、政府や連邦議会に対して提言を行う。扱うテーマは、遺伝子診断、臓器移植、脳死、認知症、近親相姦など生命科学や医学倫理に関わる問題だ。

今回のコロナ危機に際して、シュパーン保健大臣の要請に基づいてこの提言書を執筆した。

ドイツ倫理評議会も、文書の中でトリアージュに多くの紙数を割いている。

評議員たちはまず、

〈国家は、市民の生命の価値に差をつけてはならない。危機の際にも、国家が市民の年齢や社会的地位、性別、人種、出自、障害の有無に応じて、生命の価値に差を付けたり、誰が生き延びるかを決定したりすることは許されない〉

と述べ、政府が患者の生死について決めることを厳しく禁じた。

その上で評議員たちは、

〈重症者数が急増して、治療のためのリソースが足りなくなった時には、どの患者を救うかという難問が浮上する。この難問に対しては、法的、倫理的に100%満足できる解決方法はない。重症者にとっては基本的人権に関わる問題だ〉

と悲観的な立場を打ち出している。そして、

〈治療リソースの配分を行わざるを得ない時には、透明性を確保し、統一されたガイドラインに基づいて行うべきだ〉

と指摘するとともに、DIVIなどが発表した前述の提言書を、1つの目安として紹介している。つまりドイツ倫理評議会は、DIVIなどのトリアージュに関する提言内容を批判せず、暗黙の承認を与えている。

両論併記に内包される倫理的な問題

ドイツ倫理評議会の評議員たちも、

「すでにICUにいる患者について、回復の見込みがないので集中治療をやめることは、誰をICUに入れるかの決定よりも、さらに倫理的な問題が大きい。

治療キャパシティーを回復の見込みがある人に回すために、現在ICUにいる患者の集中治療をやめて、通常病棟に回すことは、その患者を『殺す』ことにはならない。十分に手当てができないという悲劇的な状況の中で、その患者を救えなかったと考えるべきだ」

と述べ、提言書でも、

〈医師たちに、全員の命を救うという不可能な注文をすることはできない〉

と、困難な決定を行わざるを得ない医療スタッフを弁護しようとしている。

しかし「効率的なリソースの配分」は、高齢者や基礎疾患を持つ重症者にとっては、冷酷な決定だ。

ドイツは米国ほどではないが、日本よりも訴訟が多い社会である。「回復の見込みが低い」という理由で人工呼吸器を外されたために死亡した遺族が、医師や病院を殺人罪で告発したり、損害賠償の支払いを求めて提訴したりする可能性もある。

この点についてドイツ倫理評議会は、

〈医師が極限状況の下で、DIVIなどの指針に従い、熟考の末、透明性を確保しながら集中治療をやめた場合には、後日法的に追及されても情状酌量の対象となる可能性がある〉

とし、ガイドラインに従えば、法廷で有罪にはならないという可能性を示唆している。

それでも同時に評議員たちは、

〈第3者の命を救うために、集中治療をやめる行為は、客観的に見て適法とは断定できない〉

という矛盾した見解も示している。両論併記とも言えるこの記述には、回復の望みがある患者を救うために、回復の見込みが低い患者に対する治療行為を停止する決定が内包する倫理的な問題性と深刻さに直面している医療現場の苦悩が、色濃くにじみ出ている。

ナチスによる犯罪の記憶

読者の中には、「なぜドイツ人はここまで倫理にこだわるのか」と思う人もいるかもしれない。

この背景には、ナチスによる犯罪の記憶がある。言うまでもなくナチスは、絶滅収容所のガス室や銃による処刑によって、ユダヤ人約600万人を虐殺した。

アウシュビッツ・ビルケナウ絶滅収容所では、次のような光景が見られた。収容所のプラットフォームに、家畜輸送用の列車が到着し、中から疲労困憊した数千人のユダヤ人たちが降ろされ、プラットフォームには、親衛隊の軍服に身を固めた軍医ヨーゼフ・メンゲレらが立っている。

彼は、ユダヤ人の体格や年齢を見て、指を右へ動かすか、左へ動かすかだけで、働ける者と、労働不適格者を選別した。働けないと見なされた女性や幼児、老人は、そのままガス室へ歩かされて殺害された。

また、ナチスが1939年に始めたT4作戦では、やはり軍医たちが身体障害を持つ者、心の病を持つ市民約20万人を「生きるに値しない命」と断定し、「戦争へ向けて国家のリソースを節約する」という大義名分の下に、一酸化炭素を使ったガス室で殺害した。

このためドイツ語の「選別(Selektion)」という言葉は、ドイツ人にとって極めて忌まわしい響きを持っている。

ドイツ倫理評議会が、

「国家が民族や障害の有無、年齢などによって誰が生き残るべきかを決めることは許されない」

と強調しているのは、そのためだ。今日のドイツ人にとって、「命の選別」はタブーだ。彼らがコロナ危機によって迫り来るトリアージュについて、厳密な基準を作っているのはそのためである。

またメンゲレをはじめとするドイツの一部の医師たちは、ユダヤ人の子どもを使って人体実験を行ったり、強制収容所の被害者をどの程度温度や気圧が低い環境に耐えられるかを実験したりした。

ヴェルナー・フォン・ブラウンら技術者たちは、「ロケットによる月への飛行を実現する」という夢を実現するために、ナチスに協力して世界初の超音速ミサイルV2号を開発した。ナチスはこのミサイルをロンドンやアントワープに撃ち込み、多数の死傷者が出た。

ドイツの知識人たちは、ナチスの支配下で、医学の進歩や技術開発という大義名分の下に犯罪が行われたことを強く意識しており、生命科学や医学については、倫理的に問題がないかどうかを厳密にチェックする傾向が強いのだ。

ただし、コロナ危機がもたらすジレンマを、誰もが満足する形で解決することは不可能だ。キャパシティーが無限でない限り、医師は遅かれ早かれ「選ぶこと」を余儀なくされる。

先述したクレモーナの病院のICUで働くマンジャトルディ医師は、ドイツの新聞記者との電話インタビューで、

「皆さんの国にも、医師がどの患者を救うかを選ばなければならない状況がやってくる。新型コロナウイルスを甘く見てはならない。忍耐と力を失わないで下さい」

という言葉で締めくくっている。

目に見えない「津波」は、ドイツにも刻々と近づきつつある。ドイツの医師たちがDIVIや倫理評議会のガイドラインを粛々と適用し、人工呼吸器など限られた治療キャパシティーを重症者の間で配分しなくてはならない日は、残念ながら遠くないのかもしれない。

そしてもちろんイタリアやドイツの状況は、我々日本人にとっても対岸の火事ではない。

日本でも感染者が急増しているほか、ICUの病床数、重症者用の人工肺に対応できる人材の少なさが指摘されており、対応が急務となっている。

日本集中治療医学会の西田修理事長が、4月1日に発表した声明の一部を引用して、この小文の結びとする。

私は彼の悲観的な予測が的中しないことを祈っている。イタリアやスペインのような状況は、絶対に日本で起きてほしくない。日本の政治家と官僚たちは、西田氏の警鐘を無視することは許されないだろう。

〈イタリアでは3月31日の時点で感染者105,792人に対して死者約12,428人であり死亡率は実に11.7%と急増しております。

一方でドイツでは、感染者約71.808人に対して死者は775人に留まり、死亡率は1.1%です。この違いの主なものは、集中治療の体制の違いであると考えます。

ICUのベッド数は、ドイツでは人口10万人あたり29〜30床であるのに対し、イタリアは12床程度です。

ドイツでは新型コロナウイルス感染症による死亡者のほとんどはICUで亡くなるのに対し、イタリアでは集中治療を受けることなく多くの人々が亡くなっているのが現状です。

イタリアは高齢者が多いことも死亡者が多いことの原因と考えられますが、日本ではイタリアよりも高齢化が進んでいるにもかかわらず、人口10万人あたりのICUのベッド数は5床程度です。

これはイタリアの半分以下であり、死者数から見たオーバーシュートは非常に早く訪れることが予想されます〉(原文ママ。ただし読みやすさを考え、改行は編集部が行っています)

熊谷徹 1959(昭和34)年東京都生まれ。ドイツ在住ジャーナリスト。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン特派員を経て1990年、フリーに。以来ドイツから欧州の政治、経済、安全保障問題を中心に取材を行う。『5時に帰るドイツ人、5時から頑張る日本人』(SB新書)、『イスラエルがすごい マネーを呼ぶイノベーション大国』(新潮新書)、『ドイツ人はなぜ年290万円でも生活が「豊か」なのか』(青春出版社)など著書多数。3月に『欧州分裂クライシス ポピュリズム革命はどこへ向かうか 』(NHK出版新書)を上梓した。

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(2020年4月7日フォーサイトより転載)

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