「心の底から感謝すると涙が出る」LiLiCoが語る、スポーツが人生に与えてくれたもの

好評連載 第23回 LiLiCoの「もっとホンネで話そう。私たちのこと」
LiLiCoさん
LiLiCoさん
Yuko Kawashima

幼少期から、さまざまなスポーツに親しんできたタレントのLiLiCoさん。プロレスやボディービルにも挑戦し、プロの舞台でも活躍しています。

世間を騒がすイシューからプライベートの話題まで、ホンネで語り尽くす本連載。今回のテーマは、「スポーツ」です。

2020年8月、膝の骨折の影響でまだ以前のようには歩けないLiLiCoさんが、スポーツが人生に与えてくれたもの、そしてスポーツを失って見えた景色について語ります。


ボディービルが教えてくれた、スポーツの裏にある絆

Yuko Kawashima

この夏は、ステイホームでオリンピックを楽しみました! 毎日テレビはつけっぱなしで、普段は「ディナーは家族と会話の時間!」な我が家もテレビを解禁しました。

こんなに夫婦2人でスポーツ観戦をするのは初めて。2人で観戦するのは楽しいし、夫が感動で大号泣しているのを見て、彼のすてきさを再確認しました。

小さい頃から、サッカー、バスケットボール、アイスホッケー、スキー、スケート、バンディ(氷のうえで行うフィールドホッケー形式の球技)、水球、タップダンス、社交ダンス……。さまざまなスポーツを楽しんでいました。

日本に来てからも、サッカーチームに所属したり、ボディービルやプロレスにも真剣に取り組みました。

プレイヤーとして試合に臨んだ経験があると、スポーツを観る面白さが増しますよね。

私にとって大きかったのは、ボディービル。タイムや点数という結果の裏に、仲間との深くてすばらしい絆があるということがわかったからです。

Yuko Kawashima

それまでの私は、オリンピックなどスポーツの大きな試合で優勝した選手が「私が1人で取ったメダルではありません」と言っているのを聞くと、「でもがんばったのは君だよ」と思っていました。

芸能界でもマネージャーをつけず、仕事を自分で取ってくるのが当たり前だった私は、誰かの助けを借りながら成果を上げる経験をしたことがありませんでした。だから、仕事もスポーツも、自分の責任で頑張るものだと思っていたのです。

そんな私が番組の企画でボディービルに挑戦したのは、44歳のとき。

以前からダイエットのために通っていた「ボディプラント」の代表、足立光さんが私のパーソナル・トレーナーでしたが、この企画のため、ボディービルに向けてトレーニングが本格化! フィットネス・ビキニ部門の「35歳以上163cm以上の部」のコンテスト出場に向けて、3カ月で身体を仕上げることになったのです。

私の体や性格、生活に合ったトレーニング方法、食事の方法を提案するだけでなく、ときに折れそうになる心のフォローや雑談まで飽きさせることのなかった足立さん。

自分のことのように選手のことを考えてくれる足立さんにサポートされながら、私はトレーナーがいる心強さ、ありがたさを実感しました。そして、「この人をガッカリさせたくない」という気持ちでめちゃくちゃ頑張ったのです。

Yuko Kawashima

気づけば体も変わっていき、見事5位に入賞! ほかの出場者は、インストラクターやダンサーなど、いつも体を鍛えている人ばかり。それは、まさに2人で取った賞でした。

このとき、仲間とともに賞を取るとこんなに感動するものなんだ、と思いました。心の底から感謝すると涙が出ますね。真っ先に電話をすると足立さんもすごく喜んでくれて、トロフィーもずっとうれしそうに眺めていました。

同時に、人の人生を変えるトレーナーという仕事の大変さと魅力もよくわかるようになりました。

骨折後、ミュージカルに挑む自分を支えてくれた一言

Yuko Kawashima

ボディービルのトレーニング中は、自分の体は自分が一番わかっているという思い込みが間違いだということもわかりました。

「こんなところに筋肉があったの?」という場所が筋肉痛になったり、自分が今までやっていた筋トレが正しくないことに衝撃を受けたり……。

何より、週8(!)でお酒を飲んでいた私の体があそこまで変わったんですから!

あれ以来、足立さんは人生の中ですごく大きな存在です。

歳を重ねていろんな経験をして、全幅の信頼を置ける人にはなかなか出会えないとわかる年齢になっていたから、よりありがたみがわかるのかもしれません。

プロレスで怪我をしたときも、骨折した膝のリハビリ中の今もお世話になっています。

実は、2020年の春に初めて出演したミュージカル『ウェイトレス』のときも、彼の一言に支えられたんです。

Yuko Kawashima

長年の夢だったミュージカル。絶対に出演したかったけれど、2020年8月に膝の骨を折って、2021年1月から立ち稽古に入るなんて、普通に考えれば無理な話です。

でも足立さんは言ってくれました。

「膝が折れているけど、一生懸命リハビリをしてミュージカルに出たらカッコいいよ!」

彼自身も、膝の靱帯の怪我をした人だから、その言葉には重みがありました。

膝の怪我をしてから1年。最低でもあと2年はリハビリを続けなければなりません。そんな今、あらためてトレーナーの足立さんのありがたみを噛みしめています。

「銀メダルでごめんなさい」と言った日本の選手

Yuko Kawashima

2014年から4年間、プロレスラーとして活動していたときは、日々のコンディションが試合運びにいかに影響するかを痛感しました。私は女性なので、特にホルモンのバイオリズムにはあらがえませんでした。

スポーツ選手も、1人の人間。大切な試合の日に調子が悪いことだってあります。

それがわかって、スポーツの世界で生きていこうと決めた人たちへの尊敬の念が、より深くなりました。

父が、かつて女子マラソンで銀メダルを取った日本の選手がインタビューで「銀でごめんなさい」と泣いているのをテレビで観て、ショックを受けたと話していました。

スウェーデンは、オリンピックに出場したならば一生食べていけるほどの名誉を手に入れられる国。だから、「世界で2位という立派な成績を残しても、謝らなければいけないのか?」と思ったみたいです。

東京オリンピックではその風潮も変わったように感じられましたが、日本はまだまだ、「一番にならないと意味がない」という意識が根強いですよね。一方で、競争の厳しさは、素晴らしいアスリートを生んでもいるのかもしれません。

スウェーデンでは、スポーツは人生を豊かにするものだと考えられています。楽しむものという認識だからか、オリンピックなど世界大会に出るようなスポーツ選手は少ないんです。

ポールダンスは無理でも…いつかタップをやってみたい!

Yuko Kawashima

2020年の8月に膝の怪我をしたことで、私なりに怪我をして引退会見をするアスリートの涙の意味もわかるようになったと感じます。

私も普段はつらいそぶりを見せないようにしているけれど、怪我でたくさんのものを失って悲しい。まだまだ前のように動けないから、歩くロケはできないし、芸能人の運動会みたいなバラエティー番組にも出られません。

仕事でもプライベートでも体を動かすのが好きな私は今、人生の楽しみの半分を奪われたという気持ちです。

でも、失ってしまったものには、目を向けないことに決めたんです。

ずっと前から憧れていたポールダンスに挑戦するのも、難しくなってしまうかもしれません。

ただ先日、黒木瞳さんのポッドキャストにお邪魔したときに瞳さんが「タップダンスいいよ」と教えてくれたんです。膝に負担がかからないんですって。

小さい時も習っていたタップダンス、興味ある! また挑戦できる日が来るかもしれない!

何かの可能性が消えたって、新しく生まれる何かもあるんですね。私はこれからも、自分らしくスポーツと付き合っていきたいです。

Yuko Kawashima

(取材・文:有馬ゆえ 写真:川しまゆうこ 編集:笹川かおり

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