真ん中の私たち

『彼岸花が咲く島』で芥川賞を受賞した李琴峰さん。「個人と社会はつながっていて、自分が感じている息苦しさの多くは社会や政治から与えられている」と語る李さんに、言語や国籍など「真ん中」に立つからこそ感じてきた違和感について聞いた。
実家の母が、「一人暮らしをしてみたい」と言い出した。還暦まであと数年に迫っていた。仲が悪いわけではないのだが、実家の5人家族全員がいまはバラバラに暮らしている━━。 ライターの息子が母にインタビュー。これは、母親と家族の自立の話だ。
東京オリンピックは「世界」にルーツを持つ日本代表が多数出場しているが、日本にルーツを持つ海外選手も実は多く存在する。その顔ぶれの一部を紹介しよう。
この問題には、ふたつの論点があると思う。ひとつは「日本を『寿司の国』と表現することは差別なのか」。そして、もうひとつは「選手の出身地にわざわざ触れる必要があったのか」だ。
外国人の入国に際して例外となる「特段の事情」とはどんな場合なのか、入国管理を管轄する出入国在留管理庁に聞いた。
「難民が社会で『ここは私の居場所だ』と思えるようになれば、もっと日本に貢献したいと頑張るはず。それは、日本にとってもきっとプラスになるはずです」
これを読んで、私と同じく両親への寂しい想いを抱える人が孤独から解放されたら、嬉しい。
「外国人である」前提で話される私と、「外国人ではない」前提で話をされる友人。“見えない”ゆえに、彼女は目の前で差別を受けて苦しんでいたーーー。
関東大震災から97年を迎えた9月1日、デマで虐殺された朝鮮人の追悼式典があった。しかし、その隣では朝鮮人犠牲者に「根拠がない」とする保守団体が集会を開いた。
「僕は日本にいた時、すごく『楽』な立場にいた。日本語を話しても、珍しがられることは少なかったから。でも、現実はそうじゃない人がいっぱいいる」