大学生の私がイスラム教の学校で1ヶ月過ごした話

「自由や平等を声高に叫ぶ国が、一方では大量の石油をその国から買い、王族たちの繁栄を支えている。これは明らかに矛盾していないか?」

昨今私たちはイスラム教という単語をニュースなどでよく耳にします。

しかし、イスラム教について詳しく知っている人はあまりいません。

私もそんな一人でした。

そんな私が、ひょんなことからトルコにある、イスラム教の学校に1ヶ月間居候することになりました。

学校と言っても、立派な校舎などなくアパートの3階に教室が、4階に生徒が集団で寝る部屋があるだけです。

エジプト人(2人とも英語が堪能で長い間シリアに住んでいた)の先生が2人、そして12歳から23歳までの25人程の生徒が、親元を離れここでイスラム教を学びながら共同生活している。

生徒はみなシリア人(アレッポやホムス、ハマー、ラタキアなど出身地は様々)の男性。

彼らはシリアの内戦から逃れてきた。

筆者と生徒=シリア人生徒撮影

そもそもイスラム教とは?》

イスラム教は7世紀のはじめに、サウジアラビアのメッカでおこりました。メッカで商人をしていたムハンマドが40歳になった年のある夜、洞窟で瞑想していた際に、天使ガブリエルがアッラー(アッラーとはアラビア語で神の意味)のメッセージを彼に伝えた。

そして、このアッラーからの啓示を1冊の本として残したのがコーランである。

私が、イスラム教に関し疑問に思っていることを先生に質問してみました。

以下が私と先生のやり取りです。

「イスラム教は、ユダヤ教とキリスト教と同じ神を信じているというのは本当ですか?」

先生「それは事実だ。イスラム教は、ユダヤ教とキリスト教を経てできた一神教だ。神は何人かの預言者に言葉を授けた。しかし、時が経つにつれ人々は神の言葉を歪め始めた。

例えば、ユダヤ教ではユダヤ人のみが神に選ばれたという選民思想がある。しかしそれは、神の前に全ての人は平等であるとされているイスラム教の考えに反する。

またキリスト教ではイエスが神の子とされている。

しかしイスラム教では、神は唯一絶対の存在であるため、神に対するものはないとされている。

このような間違いを正すために、神はムハンマドに教えを授けたのだ。

だからイスラム教ではムハンマドが最後の預言者と言われている。それと同時にイスラム教では、モーセやイエスなども預言者とし、旧約聖書と新約聖書を経典として扱っている。」

「なるほど、とても興味深いです。

私はイスラム教徒でもないし、如何なる宗教も信じていませんが、先生は私の事をどう思いますか?」

先生「先ほども言ったが、神の前に全ての人は平等だ。そして我々イスラム教徒は、他者との間に線を引かない

君がイスラム教徒ではなくても、私と君は兄弟だ。イスラム教は長い歴史の中で異文化と共存してきた。

イスラム教に寛容の精神があったからこそ、イスラム教は世界中で信じられている。」

「なぜイスラム教徒でもない私を受け入れ、3度の食事と寝場所を与えてくれたのですか?」

先生「コーランに、旅人を3日間もてなせと書かれている。だからだ。」

「なるほど。だからイスラム教国に行くと、多くの人が私を泊めてくれたりご馳走してくれるのですね。」

先生「あと君はお金が無く困っていただろう?

コーランには、こうも書かれている。弱者を救済しろと。

そして、イスラム教徒の義務の一つに喜捨(ザカート)がある。金を持っている者は、周りの貧しい者に施しをしなければならない。そして、喜捨(ザカート)をした者は天国に近づくことができる。」

「そういうことだったのですね。本当にありがとうございます。」

先生「君は感謝してはいけない。我々は神の前では平等だ。

だから、喜捨した側とされた側は対等な関係でなくてはならない。君は私に天国へ近づく為のチャンスをあげたんだと思うだけでいいんだ。」

「なぜ豚肉とお酒は禁止されているのですか?」

先生「一言でいうと、コーランに書かれているからだ。」

「でも人によってはお酒を飲みますよね?その人たちについてどのようにお考えですか?」

先生「確かにお酒を飲む人はいる。だからといって彼らの信仰心を疑ったり、それを咎めたりもしない。

イスラム教は神と個人の契約だから、他人の信仰に第三者が言うべきことは無い。酒を飲むことで天国が遠のくが、そのぶん他で善行を積めばいいだけの話だ。」

「この考えは他のことにも当てはまりますか?」

先生「そうだ。一番大切なことはその人がアッラーを信じていることだ。

「度々イスラム教は、男尊女卑や女性軽視であると批判を受けているが、これらの批判に対してどのように感じていますか?」

先生我々は女性をとても大切にしている。女性を軽視しろなどという考え方は持っていない。我々は我々のやり方で女性を大切にしている。

しかし、君たちは君たちの社会からイスラム社会を批判する。

我々の歴史や文化など見ようともせずに、我々を分かったような気でいる。

そして、自分たちの社会がイスラム社会よりも進んでいて素晴らしく、逆に我々の社会は野蛮で遅れていると思っている。

確かに、男尊女卑の考え方を持った人もいる。しかし、それはイスラムの教えではなく保守的なアラブ社会に問題がある。これらは変えていかないといけないし、現に少しずつ変わっていっている。

君たちにとっては意外かもしれないが、家庭で一番力を持っているのは母親だ。私も妻に逆らうことはできない。

私がモロッコの一般家庭に2週間居候したことがあるが、確かにその家で一番強いのは母親でした。

例えば、父親がテレビを見ている時に、子供たちが騒いでそれを邪魔した。すると父親が子供を叱りつけた。

子供が母親に泣きつくと、母親はどすの利いた声で父親に対して怒った。

私はここで夫婦喧嘩が始まるのではないかとハラハラしたが、母親が父親を圧倒し、父親はシュンとして黙り込んだ。

この時、イスラム社会での女性の強さと怖さを私は知った。

「しかし、厳格なイスラム法(シャリーア)を敷くサウジアラビアなどでは、女性の自由が制限されていますよね?」

先生「残念ながらそうだ。女性だけでなく多くの自由が奪われている。音楽も映画もサウジアラビアではだめだ。そんなことコーランに書かれていないのに、彼らは過大解釈をしている。

彼らは多くの欺瞞と矛盾に満ちている。

彼らは自分たちの体制を維持するためにシャリーアを用いているに過ぎない。

そして、そうした国の体制の維持に力を貸しているのは君たちだ

自由や平等を声高に叫ぶ国が、一方では大量の石油をその国から買い、王族たちの繁栄を支えている。これは明らかに矛盾していないか?

「確かに我々が石油を買わなければ、体制は崩壊します。しかし、我々は抑圧された市民の苦しみを解放することよりも目の前の石油を選んでいるのが現状です。

話しは変わりますが、女性がヒジャブなどを着用する理由はなぜですか?」

先生「夫や家族以外の異性からの目を避けるためだ。しかし、これは強制されているものではない。着るか着ないかは女性が選ぶことができる。」

私は、モロッコの学校の授業に出席したことがある。その時、女子生徒にヒジャブについてどう思っているか聞いた。するとヒジャブを着用している子は「自分の意思で着ている。」や「ヒジャブを着用することにイスラム教徒として誇りを感じている」と言った。

そして、「ヒジャブなどは砂漠を生きる知恵としてイスラム教の前からある伝統衣装だ」と教えてくれた。

逆に着ていない子も少しいたが、彼女たちはヒジャブを着ていないからといって、「イスラムを軽視しているわけではない」と言っていた。

「イスラム教は過激だ。やイスラム教徒はテロリストだ。と考える人がいます。これらの批判や偏見をどのようにお考えですか?」

先生イスラム教は過激ではない。イスラム教は、平和を愛する宗教だ。

確かに一部の過激な思想に染まった人が、テロ事件をおこしている。だからといって、イスラム教徒=テロリストという考え方は間違っている。

日本人だって昔は世界中でテロ事件をおこしていただろ?テルアビブの空港での事件はアラブ世界で有名だ。だからと言って、我々は日本人=テロリストだとは思っていない。なぜならそれが一部の人間だけだと分かっているからだ。

一部の人の行いで、全体がそうだと決めつけるのはとても危険な考え方だ。」

「コーランにテロリストの思想の根拠となることが書かれているという批判もありますが」

先生「具体的にどういったところだ?」

「《ジハード(聖戦)》のことだと思います。テロリストは、自爆テロや殺人をジハードにより正当化させています。本当にジハードによってテロは正当化する事ができるのですか?」

先生「テロリストは間違っている。確かにコーランには、敵によって信仰が奪われそうになったら、信仰を守るために戦えと言われている。しかし、どこにも一般市民を殺していいなど書かれていない。

この文章が記載された時、イスラム教徒は迫害されており戦争状態だった。ムハンマドは迫害の激しさからメッカから逃れもした。そうしたことがありその一文が記載された。

しかし、今の時代に誰も、我々の信仰を奪おうなどしていない。寧ろ信仰を奪おうとしているのはテロリストたちだ。

彼らは宗派が違うだけで同じムスリムも殺す。コーランではイスラム教徒同士で殺しあってはいけないと書かれているにも関わらず。」

「では異教徒へ対してはどうですか?」

先生「長いイスラムの歴史の中で、異教徒は税金を納めれば改宗しなくてよかった。コーランでは改宗を無理強いしてはならないと書かれているからだ。だから現在でも中東には多くのキリスト教徒などがいる。

先ほどの話に戻るが、君はこの学校で我々と共に1日5回の礼拝をするだろ?あとファ-ティハ(コーランの第1章のこと)を暗唱できるようになっただろう?

そういった行動こそが、ジハードなんだ。」

アッラーの教えのために努力することがジハードの本当の意味なのですね。

多くの質問にお答えいただきありがとうございました。」

イスラム教の学校で生活して私が感じたことは、イスラム教の寛容さと弱者への優しさ、神への絶対的な信頼。そして、よくイスラム教徒が言う「イスラム教は平和を愛する宗教だ」という言葉が本当であることが分かった。

下記のサイトに学校での日常生活や日々の出来事を書いているので宜しければ、ご覧になってください。

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