豚バラが買えるようになるまでは、死にたい気持ちは消えないと思う。小林エリコさんが語る、幸せのあり方とは?

過去の傷は癒えない。未来が劇的良くなるとも思えない。でも、10代の頃は24時間死にたくてたまらなかったのが、最近では、1日か2日に減っている。
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小林エリコさん
撮影:米田志津美

 ブラック企業に就職し、うつ病に。そして自殺未遂の末、失職し生活保護……。

自身の壮絶な経験を書き続けている小林エリコさん。

最新刊『生きながら十代に葬られ』では。壮絶ないじめ体験や理解のない親、そしてそのために諦めざるを得なかった夢など、地獄の10代を綴っている。帯には「世界中の誰もかれもが私のことを嫌っているみたいだ。」という言葉が鎮座している。 

「普通に学校に通い、普通に働き、普通に生きることができなかった」と語る小林エリコさんに話を聞いた。

 

スカートをまくり上げられ、「バカ」「ブス」「死ね」と言われた

 ――これまでの著作3冊を読んで思うのは、小林さんの人生の過酷さです。

普通に楽しい学校生活を送って、卒業したら楽しい社会人ライフが待っている。そんな人生の「普通」から外れる日本の社会はとてもキツイですよね。私はそんな「普通」に入りきれないことが多かった。

だから、うらやましいというのが正直なところです。世の中の大多数の人たちはきちんと会社に勤めて、程度の差はあっても好きに暮らせる程度の収入を得ています。結婚の平均年齢が上がっているとはいえ、30代くらいで結婚をして、出産という人たちの方が、私の同年代ではやっぱり多い。

いじめも、精神疾患も生活保護も決しておもしろい体験ではありませんから、普通であることや、マジョリティに対する憧れはものすごくあります。

――小林さんにとって普通から外れてしまうきっかけの一つが、今回の作品の中で書いているいじめですよね。

そうですね。

スカートをまくり上げられ、ベルトで首元を結ばれた私は、ブルマ丸出しの餅巾着のようになり、みんなの笑いの的にされました。蹴られたり、男子から「バカ」「ブス」「死ね」と言われたり。そして担任教師は私に「お前はクラスのみんなに嫌われている」と告げました。そして卒業アルバムに書かれた「ブスエリコ」のメッセージ…。そんな中学時代でした。

30歳を過ぎた時、卒業アルバムを発見した時、私はそれを泣きながら引き裂きました。

 ――いじめの経験は、その後の人間関係の作り方にも大きく影響を及ぼすと思うのですが。

今でも、友達をつくるのはすごく苦労するし、友人関係を長く続けるのは難しいなと思います。必要以上に気を使ってしまったり。たとえば「あの時、ちょっと失礼なことを言ってしまったかもしれない」と思うとずっとくよくよ悩んでしまったり、人との距離の詰め方が下手でやたらと話しかけてしまったりすることがあります。逆にすごく警戒してしまうことも。そういう意味で、いじめの影響はあるのだと思います。

ただ幸運なことに、現在、私のまわりにいる人たちは、私が自殺未遂を繰り返していたり、生活保護を受けたりした経験があっても、積極的に介入してくるわけではないけれど、程よい距離感でいてくれる人が多いです。

――いじめの経験を経て、現在、理解し合える人間関係を作れたのは、なぜだと思っていますか?

小中高の学生生活がひどすぎたので、短大が一番楽しかったんですけど、それでも最初の頃は本当に友達がいなくて、ずっと一人でいたんです。そんな自分にイライラして、昼間、大学の教室でお酒を飲んでいたりしていたほど。

私が短大生の頃は“アムラーブーム”の全盛期で、まわりはいわゆる“ギャル”ばかり。ブランドもののバッグ持って、金色に近い茶髪のロング…、私はそんな風になりたくなかったので、ギャルの中で絞り染めのTシャツにジーンズなんて格好をしているんだから、そりゃあ浮きますよね。でも中高生の頃と違って短大になるとクラスがなく、授業ごとにメンバーは変わるから、固定された人間関係がないから、楽だったんです。

ところがそうこうしているうちに、私と同じように浮いている子から話しかけられて、それから仲良くなりました。彼女とは今でも連絡をとっていて、仲良くしています。

先ほども言いましたが、マジョリティにすごく憧れているので、私も「安室ちゃん、サイコー」となれていたら楽しかったのかもしれません。でも、たぶん、話はまったく合わないし、一緒にカラオケに言っても地獄。自分の好きなものを突き詰めていくと、自分と合う人や、自分と合う人が集まる場所に行き着くことができるのではないかと思っています。

 

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小林エリコさん
撮影:米田志津美

 一生の友達になれたかもしれない人たちとの出会いを逃した

――小林さんの10代には、夢だった美大進学を諦めるという大きな出来事が起きますね。

私は小学生の頃から、毎日のように絵を描いていました。育った市の作品展にいつも選ばれ、毎回賞をもらっていました。自分に自信が持てない私とって、絵は“小さな光”でした。だから小学生の時点で既に、将来は美大に行くのだと決めていたんです。でも、両親はそんな私の気持ちを理解しようとしてはくれませんでした。

高校生になった頃、美大受験の準備のために絵を勉強するアトリエに通いたいと親に言ったんです。アトリエの資料を父に渡すと「こんな金が、うちにあるか! 絵なんかやめろ!」と資料を床に投げ捨てたんです。そんな父に母は何も言ってくれなかった…。

かなり早い時期から、美大に通うと決めていたので、私はそれを否定され、絶望しました。人生の迷子になったんです。

――いまこうして本を出版し、そのカバー絵を描いたり、他にもさまざまな方法で絵を発表する機会も得ています。それでも、やはり美大に行けなかったという呪縛は、まだ解けないのでしょうか?

たしかに絵を発表することはできているけれど、その話で思い当たるのが、美術の専門学校に進んだ友だちが「自分と同じような人ばかりで楽になった」と言っていたこと。彼女も私と同じようにマンガやアニメが好きで、いわゆるオタクだったけれど、美大には、そういう人ばっかりだと言うんです。私が目指していたのもそれで、共通の趣味を持っている人たちのコミュニティに入ることで人生が楽になれたんだと思う。

私にとって美大を諦めたことは絵を描く技術の向上ができなかっただけではなく、一生の友達になれたかもしれない人たちとの出会いを逃したということでもあるんです。

つらかった高校時代も、アトリエにも行かせてもらえていたら学校とは違う人間関係ができて、息抜きができていたかもしれない。

その後の人生で私は、何度か自殺未遂を繰り返すことになるわけですが、「自殺」という単語が自分の脳内で立ち上がり、形を作り始めたのはこの頃です。

――こうやってお聞きしていると、10代という時代は自分の気持ちだけではままならないことが多いと言えるかもしれませんね。いじめられたから転校するにも、自分の気持ちだけではできず、親の協力が入ります。進路も親に大きな決定権がありますから。

子供であることの不幸というのは「養育権は親にある」ことだと私は思います。多くの場合、子どもは親の言うことは聞かなくではいけません。では、養育者である親は、子どもに理解を示す存在かどうかというと、100%そうとは言い切れない。私の両親のように理解を示さない人たちもいるわけです。経験上、自分の意思で、自分の人生を選択をできないのは、大きな心残りになるなと思います。私はお金の問題もあったし、親はこう望んでいるんだろうと思い短大に進んだけれど、それが本人の幸せかどうかは別問題です。

大人になって一番よかったのは「誰にも保護されていない、扶養されていない」こと。気持ちがすっきりしました。その後、私は生活保護も経験することになりますが、生活保護も生活は「決められた範囲内」になっていく。だから仕事をして、お金を稼ぐことは自由になることにつながっているんだなとつくづく感じています。

人生の闇が深ければ深いほど、現在の幸せが明るく見える

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小林エリコさん
撮影:米田志津美

 ――もし今あの頃に戻れるとしたら、10代の頃に戻ってやり直したいことはありますか?

そうですね、戻れるなら、私が経験したあの学生生活は回避したいですね。

学校で友達がいなくていい。日陰者でもいい。だけど、さすがに蹴られるのはつらかったですから。人気者にならなくていいので、クラスの日陰にそっといる人間になりたい。身体的な暴力や言葉のいじめを受けてばかりのマイナスな日々だったので、プラスマイナスゼロくらいでいられたら、と思います。

――小林さんの書く、多くの人が隠しておきたい、大っぴらにしたくないと思うようなこと、たとえば自殺未遂、生活保護の経験などを読んで、勇気づけられる人も多いと思います。

ファンレターや、ツイッターなどのSNSでいろいろな感想をいただきます。

私の書いている本はマジョリティ向けの本ではありません。「普通」から外れてしまった、絶対的な少数者とか社会の周縁に追いやられた人にたちの気持ちを書いています。なぜなら、私が「当事者」だから。

社会の中で声が小さい人たちや普通の枠から外れてしまった人たちが読んで、勇気づけられたり、元気が出たりするようなものを、これからも書いていきたいなと思います。

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小林エリコさん
撮影:米田志津美

 ――いま、小さな声の人たちとおっしゃいましたが、その声をどうやって声の大きな人、もしくは声の小さな人たちの存在に気付いていても何もしない、できない人たちに、認知してもらうかも課題なのではないでしょうか。そうでないと、社会は変わりません。

そのためには、声の大きい人や気づいていても何もしない、できない人たちに、私の本を渡し「理解してください」というだけではダメだと思うんですよね。もちろん、本を読んでもらうことも大事だとは思う。

でもできれば、当事者、精神疾患を抱えているとか、障害者、生活保護を受けている人たちが自発的にどんどん発言したり、たとえば車椅子に乗ってどんどん外に出ていくとか、マジョリティの人たちの視界に入っていくということがすごく大切なのではないかと感じるのです。

とくに精神疾患や障害に関してはスティグマ(差別や偏見)が存在するのでまわりに言わず隠している人は多いと思うんですよ。どんどん言って、私はこういうところで苦労しているんだって表明していかないと。健康な人も「私の友人が」「同僚が」「きょうだいが」となれば、自分ごととしてこういった問題を考えてくれるのではないでしょうか。生活保護も受けていることは恥ではなく、福祉制度のひとつであり、受給者も正当な権利を持っているんです。「友だちに生活保護の人がいる」と言える社会になったらいいなと思いますね。

――小林さんは3冊の本を出し、連載も抱え、講演会に呼ばれたりと一時の苦しさから解放されたのかと思っていたら、今回の作品の「あとがき」に「まだ死にたい思うことがある」と書かれていて、驚きました。

自分の人生を振り返ると、苦しいことや悲しいことが多すぎて、うんざりします。他者から貶められ、暴力を振るわれた傷は癒えていないし、パッとした学歴も職歴もない私の未来が、劇的に良いものになるとも思えません。ただ、10代の頃は24時間死にたくてたまらなかったのが、最近では、1日か2日に減りました。

たしかに自殺未遂の末、障害者手帳も取得し、生活保護を受けていたのが、現在は通院をしながら、NPO法人で働くまでになりました。本も書かせてもらっています。でも、年収的には、全然幸せではないんです。もうちょっと稼ぎたいです。

正直、ブラック企業だったとはいえ、最初に入った会社で「正社員」としてずっと働いている友だちや、稼ぎのいい夫と結婚した友だちはすっごく羨ましいです。この間、そんなことを思って、少し、泣いてしまいました。

私、まだ、豚バラ肉が買えないんですよ。100グラム198円くらい、高いじゃないですか。よし!と勇気を出して買って料理をしたら、すっごくおいしくて。豚バラ肉が買えないうちは、まだつらいと思いますね。

ただ、人生の闇が深ければ深いほど、現在の幸せが明るく見えるということもあります。理想を言えば、もうちょっと稼ぎたいけれど、少しのお金と仲の良い何人かの友達と一緒に、この先の人生を歩んで行けたらと願っています。

小林エリコ 1977年生まれ。短大卒業後、エロ漫画雑誌の編集に携わるも自殺を図り退職、のちに精神障害者手帳を取得。現在は通院を続けながら、NPO法人で事務員として働く。ミニコミ「精神病新聞」を発行し、現在はフリーペーパー「エリコ新聞」を不定期刊行。漫画家としても活動。著書に『この地獄を生きるのだ』(イースト・プレス)、『わたしはなにも悪くない』(晶文社)、『生きながら十代に葬られ』(イースト・プレス)がある。

 

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『生きながら十代に葬られ』 イースト・プレス刊 1400円+税
提供:イースト・プレス